光のごはん
光を意識しながらごはんを作るようになって、やっぱり気分が良いです。
最近は、調子に乗って、作業を始める前に天津祝詞まであげています(^o^)/
神妙に敬意を尽くして〜なんてノリじゃなくて、自分でもおかしくて、それでいてどこか嬉しくて、クスクス笑いながら祝詞をあげていて、真面目な神道家からはひっぱたかれそうですが…
それでも祝詞をあげると、意識の切り替えがパッとできて、おまけに丹田のあたりにうまい具合に重心が落ち着くような気がします。
なんかこう、自分自身の全細胞に光を点火しているような、そんな気がしなくもありません。
その上、お台所や、調理器具にまで意識の光が影響するようで、全てと一体化するような気がすることもあります。
以前だって、上の空で料理していたことは少ないと思いますが、意識レベルの違いは明らかで、一昨日でしたか、熟した桃に包丁を入れた時、わあ、こんなに官能的な感触って今まで一度も気づかなかった…と絶句しました。
冷蔵庫のあり合わせからの、信じられないような美味しいレシピを思いつく頻度も増えたかも。。。
以前は、料理しながら音楽を聴いていましたが、気が散って折角の気分がぶち壊しなので、止めてしまいました。
でもね、代わりにプリミ恥部さんの「光世界」が体の中から聞こえてきます。。。変ね〜〜〜!
♪光しか無い世界
それを行えるのは、僕であり私なんだね
体の中空っぽにして僕も生きてみるよ〜♪
理由はわかりませんが…
やっぱり光つながりなのかな…
自分一人のためだって、この大事なかけがえのない人に差し上げるごはんですから、この人が幸せで元気でいてほしい、そのための光をいっぱいにして、と思えば、エネルギーも上がるし、その分気分も上がります。なんか、嬉しくなって、ニコニコしちゃう…。自分にだって愛されたらすごく嬉しいものです。
以前は勿論、こんな風には思えませんでしたが、精神世界で学び続けるうちに、耳にタコができるほど、自分を大切にすること、愛することからしか始まらないと叩き込まれたお蔭で、気がついたら、自分自身をほんとうに大事だと思えるようになっていました。
この愛が無ければ、光のごはん作りだって、こんなに楽しくできないと思います。
しばらく疲れ過ぎていて、好きだった筈の料理も面倒なだけで楽しめなくなっていましたが、疲れていただけじゃなくて、愛、そして意識のクリアーさが足りなかったのかもしれません。。。
毎日必須の労働が、こんな風に楽しめるようになったのは、恩寵のようです。
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