チームMirus
私も昔は神道ベースだったのに、ちこさんの著書から、ブレイクスルー並みなヒントを頂戴しても、何か決定的な違和感があって、どうしてもぴったりこないのが不思議でした。
「何かな〜」と思って、ふと気づきました。
神と人の分離感です。
神が尊くて、人はそうじゃない。たとえ神を宿しているのが人だとしても、尊いのは神の部分で、人、あるいは獣的な部分はそうじゃない。。。
そんな風に思ってきたので、「随神(かんながら)」などの言葉に分離感を感じてしまいますが、最初から神と人の分離を感じない人にとっては、何も問題は無いでしょう。
この散々だった(…って、終わったのかな…)煉獄期間中、何度も壁に頭をぶつけるように苦しみ続けたその根っこが、この分離の幻想でした。
神道的な概念への違和感に?と思うまで、気がつかなかったけれど、もしかして、かなり癒えてる。。。?
ガイドに「地上要員だけにやらせるな〜!」とぶち切れていたり、その逆に泣きついたりと、烈しい煉獄期間でしたが、その過程で、地上要員としての人間が一番の功労者かもしれないと思うようになりました。
天使たちがものすごく人間を尊敬しているというような事は読んでいて、それまでは全くピンと来ませんでしたが、そりゃあ、そうだ!と思うように…。
ガイドのレベルならまだしも、それ以上に波動が高くなると、地上的な苦しみは波動的にシンクロしない=感じられない筈です。
苦しみなどのとてつもなく重い波動を通してしか得られないものがあって、その貴重さは推して知るべし。。。あるいは、苦しみ自体が、波動の高い世界には存在しない貴重品で、それを体験したいってね、酔狂な、というか脳天気過ぎるアイデアを抱いた記憶もなきにしもあらず。。。
いつだったか、ふと大天使のような高次の存在が、地上の豊かで深い経験を求めて次元下降することを、考えるともなく考えていました。
肉体レベルにシンクロできるように、自分自身を小さく分割して波動を落として重くします。
波動を落とせば、意識も鈍くなり、どんどんクリアーさが失われ、視野も極端に限定されます。
遂には肉体の感覚にフォーカスが合うようになっても、霊的には目隠しをしているような閉塞状況になり、そうして洗濯機がごおんごおん回っているような地上の混乱状態の中で、どうしたら良いのかもわからなくなり、頭を抱える…って、
あたしたちじゃん…。
これね、妄想かもしれませんが、感覚的に、なんかすご〜くぴったり来るんですよ。
こうして、チームMirusという発想が定着しました。
誰かが尊いわけでもなく、尊くないわけでもなく、ただ、それぞれが部署について、それぞれの役目を果たしているだけです。勿論、ビジネスライクなつながりじゃなくて、無条件の愛だけでなく、深い愛情で結びついたチームです。
今生、みんなで計画した通りに、時にとんでもない目に遭いながら、望み通りの達成を手にして、それを最愛のマトリックスなる魂にお持ち帰りできるとしたら、それは誰のおかげでもなく、誰かの単独勝利でもなくて、チームMirusの達成です。
どん底状態でキッサコの夢のように美しい「般若心経」を見つけた時、まだそこに現れる観音との距離があったかもしれません。でも、今、何度聞いても、その微笑というにはあまりにも淡い、静かで優美な安らかさを唇に浮かべた観音は、他の存在だとは思えなくて、自分だと感じます。
夢の中で、自分のことを見ている…対象として自分を見ているのに、見ている主体も自分…、そんな感覚。。。
でもねえ、これも、体調よくなったからそういう波動にシンクロしてるだけで、また転がり落ちたりしてねえ〜(^^;)
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