人生の魔法
この世界、あるいは私がいる次元において、光と闇はいつも一緒のようです。
今回「ここまで続きますかねっ」というような素晴らしいイベント続きで、たぶん魂は大喜び、私は絶叫したいような日々の後、もういけません…(TT)みたいなことになり、それでもこういうジェットコースターで振り落とされそうな時は、勿論、変化変容のチャンスでもあります。
これは疑いようのない事で、このチャンスをただ苦しんだり、泥沼にはまって溺死しそうになっただけで終わっては、あまりに割が悪過ぎる…。
まだ作業中なので、本当に変わるのはこれからだと思いますが、一つうんと変わったのは、もう自分だけで何とかするのを止めたことです。感情のお世話でも何でも基本的に自分の世話は自分でしてきて、それでどうにかしていたと思っていましたが、実は両親が交互に入退院を繰り返し始め、その最初の大きな山にどっかり押しつぶされていた頃、叔母が随分助けてくれました。
父が奇妙な肺炎で死に損なっての長期入院中、母の具合がどんどん悪くなり、私も心身ともにぎりぎりでいた時に、叔母がちょくちょく電話をかけてきては、いいから何でも遠慮なく話しなさいと言って、随分嫌な話を延々と聞いてくれました。
叔母が珍しく食い下がったので、言われるままに話を聞いてもらいましたが、そんなにまでしてもらわなかったら、やっぱりこの時も自分でどうにかしていたはずです。そうして、「誰もわかってくれない、助けてくれない」という無意識の思い込みを、これまた無意識なまま一層太らせていたでしょう。
それに比べれば今回はましで、だからいつものように自分でと勿論思いましたが、それではいつまでたっても自分も人生も変わらないので、父に電話で泣きついた話は既に書きました。
他の人にも愚痴という形ではなく、「今は精神的にアウトなんです」と正直に伝えて、ありのままの自分を曝すことにしました。
そうすると…
驚くような援助をしてくれる方まで現れ、その上、父との関係が信じられないくらい近くなりました。
バレンタインデーに、いつもならチョコレートケーキとか作ったりするんですが、今回は仕方なくて市販のチョコレートと紅茶を用意しました。母とのことをちゃんと話そうと思っていたので、母が透析で病院にいる時間帯に訪ねました。母のことはよく理解できるので、今は非難したり恨んだりする気持ちは一切ありませんし、母には聞かせたくない話でした。
意外だったような、予想通りでもあったような…やはり父は、母が私にしていた事をよく知りませんでした。一番典型的な出来事をいくつか話しましたが、それが氷山の一角で、半世紀にわたって私が母との間でトラウマを作り続け、それが今回の侵入未遂やストーカーもどき事件を引き寄せたことも説明して、安心してもらいました。実は、鍵が開いていた事も、父は純粋に心配させたくなかったのと、母はおかしくなってしまい、一層ひどい事になるので告げていなかったんです。
人の話をちゃんと聞くのが一番苦手な父が、本当によく私の話を聞いてくれたこと自体奇跡のようでしたが、叔母同様、「愚痴でもいいから、なんでも遠慮しないでこっちに言って来なさい、困ったことがあったら何でも相談しなさい」と言ってくれました。
昔、精神的に父に支えて欲しかったのに、父は物質的に支えてくれるだけで、でも、それが父の愛情表現だったと気づいてから、父との間にもあった軽度の葛藤が解消され、それ以来良好な父娘関係が続いていましたが、今回思いがけず、父が精神的にも私を支えたいと思っていたことを初めてはっきり知り、実際にそうしてくれたことは、何か魔法のようでした。
魔法のようでした。。。
あ…バレンタインデーでした。。。
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