ダイヤモンド
昨日ご紹介したティク・ナット・ハンの詩には、ダイヤモンドのイメージが登場しました。
実はこの詩を読む前の、ちょうどその日の朝、ガイドからダイヤモンドの比喩を使ったメッセージを受け取ったところだったので、一層心惹かれました。
ただ、意味は違っていて、日常に置かれる様々な痛かったり苦しかったりする出来事はみなダイヤモンドであり、人を磨いて輝かせる砥石なのだと…実際、その硬度の高さからダイヤモンドは研磨剤としても使われていますよね。そうして磨かれて、最後に人がその硬度と輝度を得てダイヤモンドになるまで、研磨が続くのだと…ダイヤモンドになってしまえば、もう同じダイヤモンドでは磨けないし、磨かれる必要もない。。。そんなメッセージでした。
確かに、本来の高い光のエネルギーとして在る時、どのような事からも傷付くことがありません。
昔、とても好きだったお友達にひどく誤解されて、憎まれたことがありました。それでも、彼女のことを嫌いになるわけでもなくて(よほど好きでしたね…そんなに好きになれる人たちに、この地上で会えること自体が祝福だと思っています)、ふと瞑想中にハートを見ると、彼女の怒りや何やらが刃物として見えていましたが、私のハートが白く輝いている中、その刃物は空を切るばかりで何の手応えもなく、そのまま消えて行きました。
一度は手放さざるを得なくても、そんな風にして好きな気持ちも友情も変わらずにいたところが、何年も経ってから連絡があり、一昨年でしたか、とても嬉しい再会と相成りました。
彼女はフランス人の旦那様と結婚していて、チェンマイにビジネスを持っている関係上、タイとフランスの行き来で、なかなか日本にまでは来ませんが、再会と彼女のビジネス上のお祝いを兼ねて、横浜のインターコンチに泊まり、それも改装前でクラブフロアーがまだかなりお安く、朝晩ラウンジで飲み食いしながら、さんざんおしゃべりに花を咲かせました。すごく楽しい思い出です。
光でいること、あるいは光に近い波動を何とかキープすること、これが全てかもしれません。あとは、時でも、宇宙でもがおのずと解決してくれるでしょう。。。
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