焼けたじゃがいもを手放す
昨夜布団に潜り込み、ふうっとリラックスした途端、気づきました。
今回の鬱って、激しい消耗から来るエネルギー切れじゃなかったかも…。
鬱の本質は無力感だと思っています。
ありのままの自分でいる自由を奪われて、助けて欲しくてたまらないのに、誰にも助けてもらえない、その苦痛と一緒に無力感も上ってきてたんですね。
全く余裕の無いところで、唐突にワークが始まってしまったため、エネルギーブロックと端正な距離が取れず、ヒーリングよりも巻き込まれてしまった形です。う〜ん失敗だったな…今回は…潔く認めよう(--;)そして、学べたことを喜ぶことにします(^^;)
今になって、既に年末からこのエネルギーは出たがっていたことに、気づきます。
喫茶店でこのマリーちゃんに付き合ってもらって、パタパタ書きものをしていた時、隣のテーブルでは、幼い女の子とお母さんがランチ中でした。書きものしてますから、聞いていたわけではないんです。でも聞こえて来ちゃった話が辛かった…あ、私にとって、です。
まだ幼稚園か、小学校に上がったばかりの女の子は、お稽古ごとでとても頑張ったからご褒美をちょうだい、とねだったのを、お母さんは「自分が好きなことを一生懸命頑張るのは当たり前でしょ、ご褒美なんか」と一蹴しました。「嫌いな事をすごく頑張ったのなら、えらい。たとえば、あなたの嫌いな英語とか…」。
心がすごくわさわさしました。なんでこんな場面に出くわすかしら…と気にはなったんです。今にして思えば、ちゃんと筋が通ったサインでした。。。
このお母さんだって、そうやって自分を痛めて努力しなければ報われないと叩き込まれたのでしょうし、それを今も信じて、子供もそうでなければ幸せになれないと思っているだけで、愛情が無いわけではありません。
私の母だって、そうでした。
私のためにと信じ込んで、がんじがらめにしてくれました。悪意なんかこれっぽちも無いだけに、余計に始末が悪かったかもしれません。ただ、本当の動機が、抑圧された恐怖からの幻想に過ぎないと意識できたら…心底大事な娘に対する態度は、全く違っていたでしょう。
こんな事、今だってやろうという人は少ないですから、無理な話です。まだ、マイケルが「意識しましょう、意識的に生きましょう」と毎日連呼しなければならない時代です。
あの女の子も、いつか気づく時が来るかもしれません。
これは違う、愛じゃない、と。。。そして、自分で自分を大切にして愛することを知るでしょう。その時、代々受け継がれて来た熱くて持っていられない焼けたジャガイモが転がり落ち、彼女が自分自身に注ぐ愛と光とで、家系の流れが変わるのです。
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