二元性の向こう側 聖なる生
前の記事の続きです。
二元性の向こう側に行って初めてわかる、地上の人生の彩りの豊かさ、聖性に気づいた一年でした。
そこは「甘い死の領域」、あるいは向こう側への意識の拡大として感じられ、軽い酩酊のような浮遊感さえある、ほどけてリラックスしたスペースです。これに一日中包まれている日は、アルコール不要…(^^)
身体も心も硬くするような緊張がありません。肉体を着ていても、その人生を既に離れた感覚のようでもあり、解放されている…。
すべてがよきものとして感じられるからです。
なぜかごく小規模な飛行機事故のニュースに接すると、この領域に自動的に飛びます。地球の転生ではありませんが、ごく小さな宇宙船での事故で死んだ平行現実があるのかもしれません。何か官能的とすら言えるような不思議な感覚で、強烈な祝福に包まれているのを感じます。そして悲しみや痛みではなく、晴れやかさと満足、光を感じます。
そこから見た時、この世界での人生も圧倒的に美しく、聖なるものだということを疑えなくなります。
最近、ひどい重荷を負ったお友達の話を聞きました。しかも彼女があれやこれやの迷いを超え、ジタバタするのも止めて、今は毅然とその重荷を負いながらしっかりと自分の力で立っている…尚かつ人生を楽しんでいるのも明らかで、彼女の見事さにも唸りましたが、その小説を思わせるような人生自体の美しさに酔いました。
とても自分には耐えられない、と思う人もいるはずです。でも、そういう人生を彼女は選んで来て、逃げもせずに体当たりで、そのユニークな人生の輝きを余すところなく生きています。
都心の洒落たカフェで軽くカヴァを一杯(彼女はオンザロックのブランデー二杯)やりながらの話でしたが、「心配して迷ったり逃げたりせずに、チャレンジは受けて立って、それで結果として掴む物がいわゆる失敗なら、その失敗を掴んだ方が人生的にはお得よ〜」などと申し上げたところが、「ああ、きっとそうよね…」という答が微笑みと共に返って来ました。
偉大な奉仕や、人目にたつような成功とは全く関係のない普通の人生でも、「甘い死の領域」から見た時、それが聖性にうらうちされた輝かしいもの、心底愛おしいものとして感じられます。
生きるに値する人生を生きている…暗い色から明るい色まで全て揃った絵の具のそれぞれ、自分自身しか生きられない唯一のユニークな人生を、フルに経験して味わって…生きていることそれ自体が収穫…これが幸せでなくて、何でしょう?
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