ゆるし/癒しの儀式
じゃあ、どうすればいいわけ…?
だいぶ前に夢中になったジェラルド・ジャンポルスキーの著書のひとつで、『許すということ』(大内博訳 サンマーク出版刊)の中に、アフリカの一部族のゆるしの儀式が紹介されています。
一読しただけで二度と忘れられないほど印象的な儀式でしたが、実はその意味についてはよくわかっていませんでした。自尊心の問題が理解できなければ、わかるはずがありません。
今は、はっきりとこれが、当事者だけでなく、共同体全体の本質的なヒーリングであることがわかります。癒しの叡智、とでも言えるでしょうか…そして、たとえ周囲やこの世界が協力的でなくとも、自尊心を見失った人自身が、自分に対するこのヒーリングを通して、自尊心、そして健康な自己愛を回復することは、充分可能であると思います。
自己本来の善良さ、純粋性、無罪性が失われていなかったことを思い出す、その聖なる恢復を経験するために…自尊心を粉々にした最初の蹉跌は、そのためだけに置かれたプログラムだったのかもしれません。
pp121-122
「過去のよいおこない」を語る儀式
ゆるしについてのエピソードをもう一つ、ご紹介しましょう。これもアフリカの話です。南アフリカのバベンバ族では、部族の誰かが不正をはたらいたり無責任な行動をとったとき、村の真ん中に一人で座らなければなりません。もちろん、逃げられないような手だてが講じられます。
村人はみんな仕事をやめ、集まって輪になり、その人を囲みます。それから、子どもも含めた全員が一人ひとり、その人が過去にしたよいことについて話し始めます。
その人について思い出せることすべてが、詳しく語られます。その人の長所、善行、親切な行為などのすべてを、輪になった一人ひとりが、詳しく語るのです。
村人たちは、これ以上ない誠実さと愛を込めて話します。誇張もでっち上げもゆるされません。不誠実な態度や、皮肉な態度をとる人もいません。
その人を共同体のメンバーとしていかに尊敬しているか村人全員が話し終えるまで、この儀式は続きます。それは数日間に及ぶこともあります。最後に輪が崩されると、その人を部族に再び迎え入れるお祝いが始まります。
この儀式が美しく伝えているように、愛を中心に考えれば、ただ一体感を取り戻すことと、ゆるしがあるだけです。輪の真ん中にいる人も、輪になっている人々も、ゆるすことによって、過去や怖れに満ちた未来を手放せるのだと、思い出すのです。輪の中心にいる人は、悪人というレッテルを貼られて部族から追放されたりはしません。その代わり、一人ひとりが自分のなかにある愛を思い出し、周りのすべての人と一体になるのです。
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