恩寵
前の記事で引用したジーザスのメッセージですが、実は数日前に、例の半身が宇宙にはみ出している感覚について、質問というよりは、誰か私よりもはるかによく理解している人と話したくなり、あ、それはもうジーザスに決まってるわ!と思って開いたページでした。
質問を投げかける時も、いつもあまりにピッタリな答が来るので、あたかも彼が私の目の前にいて話しかけてくれるような気がします。嬉しい驚きとともに感動もします。このメッセージを読んだ時もすごく満足して、本を閉じました。
半身が宇宙にはみ出している感覚は、「存在している」とジーザスが言う状態に違いありません。欲しいものが何も無いどころか、痛みに満ちた人生や地上でさえが全て佳きものと感じられ、その安らかさと満足感に完全に浸されている時に、それ以上のものを望む事は不可能です。
そして、一つ前のブログの別のチャネラーが降ろした彼のメッセージにあるように、この宇宙と融合したような波動の中にいながら、小さな私という個別の感覚がちゃんと残って共存しています。その、「あたしは隠れAタイプかもしれない!?」などとピーキャー言っている今生に限定されたパーソナリティを包み込む大きな私にも、かなり薄まっているとはいえ個性が感じられるのは、バシャールなどが言う本来の個性であり、ジーザスが言うところの本来の波動なのでしょう。
でも、その半身がはみ出している感覚というのが実際に無ければ、このメッセージはただの頭での、理解とは言えない理解で終わるしかありません。何かの拍子に恩寵のように感じ始めた感覚で、自分の努力とかをたぶん超えた恩寵のようなもの…でも、次元上昇の今、こうした恩寵は、あふれんばかりに私たちのもとに降っていることも確かです。
ハレルヤ、ハレルヤ☆
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