光を見る、あるいは光遊び
相手に光を見ること、それはとてもその人の力になることだと思っています。
私たちは誰でもが、本来光の存在で、その聖なる光はいついかなる時でも私たちのうちに燃えています。アメリカのお姉ちゃんは30歳の時に臨死体験をしていますが、他の体験者同様、こちらに戻りたくなかったそうです。それほどにまばゆく輝かしい光の体験であり、それ以来彼女は自分自身が本来は光であることを疑えなくなったと言います。
明るい暗いはあっても、必ずその光は私たちの胸の奥に存在しています。暗いのはたまたまハートが閉じているからかもしれないし、あれやこれやのヴェールがかかって暗く「見える」だけ、一時的な事です。
ヴィジュアル系なら光は見えるでしょうし、そうでなくても、感じることはできると思います。心を鎮めて、光があることを信じられれば、たぶん充分。。。
どんなに苦痛にまみれて不幸な人でも、必ずその光を宿しています。その人の表面的なパーソナリティや苦しみにフォーカスする代わりに、その光にフォーカスすることで、双方が救われることもあるでしょう。
しかもエネルギーは、フォーカスすればするほど大きくなる性質があります。だから相手に光を見ることは、その人の力になるのです。しかも相手だけではありません、こちらも含めて、双方向に影響します。。。相手の光を見ることは、自分の光を見ることのようでもあります。
今日、いつものお気に入りのカフェで、サングマ茶園のセカンドフラッシュをいただきながら、人の光を見ていました。すると、頭上から涼しい宇宙のエネルギーが降りて来ました。今朝の瞑想中には無かったことです。
時々こういう状態になりますが、色々な条件下で起こります。強いて言えば、リラックス度が強い時でしょうか…人の光にフォーカスしていて、しかもカフェみたいなところで、これをありありと感じたのはたぶん初めて…もっとも、こちらのカフェは特別清々したエネルギーの気持ちの良い場所ですから、あっても不思議はありませんが。。。
この祝福された星の上では、全ての光が強くなる一方です。今ほど、光にフォーカスすることが楽だったことは、かつて無かったかもしれません。肩に力を入れる必要もないです。レインボー君の光遊びみたいに、光で遊んでみる…そんな感じかな〜☆
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