ジーザスグリーンをかっ飛ばした日の記憶
昔ケンブリッジに半年強暮らして、帰国が近くなってきた頃のことです。
ジーザスグリーンという広々とした芝生が美しい公園のど真ん中の道を、自転車でかっ飛ばしてアパートに戻る途中でした。
別に急いでいたわけじゃなかったはずなんですが、記憶の中では全速力でペダルを漕いでいたな…と。
その時そよ風に頬を撫でてもらいながら、「いいことも悪いことも必ず終わる…」とふと思ったんです。異様に何かクリアーな気づきのようなもので、ひどく鮮明に後々までよく思い出すことがありました。
まだ瞑想の習慣なんかちっとも無くて、瞑想なんか特殊な人たちだけのものだし、解脱って何?の世界の人でした。
今朝も、駅前の坂道を登りながら、ふうっとこの時の記憶が甦りました。
あの頃は、智慧も無ければ、最低限の知識も技術も無し…丸腰で、えらく気の毒な人生でした。。。
初めての海外での一人暮らし。おまけに、ケンブリッジみたいな田舎の大学街でも、日本の平均的な治安とは比べ物にならないほど物騒で、寝る時は、いつも特大のスーツケースを寝室のドアの前に置いてブロックし、PCとベッドを共にする毎日でした(^^;)いえ、PCが恋人だからじゃなくて、通りに面した大きな窓のある居間に置いておく気がしなかったからです。実際、滞在中に、二件先でブレークインが発生し、PC盗まれてました。そこは私のような海外からの間借り人宅じゃなくて、現地の人のおウチ…。
ご飯のまずさは感動的で、最初の頃こそ、おお!これはすごい(爆)と面白がっていましたが、しばらく暮らすうちに、自分自身の味覚まで落ちてしまったのには、笑えませんでした。。。
今なら、起こるべき事が起こるだけだとさっさと腹をくくり、一応気を付けたら、あとは見えない保護者にお任せして、好きな研究だけしてたら(あ、研究しなくても、実は問題ないことを知ってました)、イヤな会議も無いし、痛勤地獄も無しという極楽を遊び暮らしたでしょうに、毎日向精神薬を山盛り飲んで何とかしのいでおりました。
まず、「いいこと」というのが、実は、日常にごまんと転がっているという智慧がありませんでした。
たまたま当たったアパートに(勿論たまたまじゃありません…たまたまなんて、この世に存在しない…家主は私が属したコレッジの教官、階上のご婦人は、日本での恩師が紹介しようと思っていて渡英に間に合わずそのままになっていた方!)、あんなに美しいイングリッシュガーデンがついていて、一体なんの不足があるんだっ!?そこで日がな一日お茶を飲みながら天国を堪能してたって、誰にも文句を言われないのに…ジーザスグリーンだけじゃなくて、もっと小さなローカルしか知らない詩的な公園に至るまで、さすがにお庭の国だけあって、もう公園はよりどりみどり…日の長い春夏の滞在でしたから、10時頃までは明るかったりして…なぜお友達を誘って、そういう場所でもっとのんびりと楽しまなかったでしょうね?
さらに「悪いこと」の仮面の下に、「いいことよりももっといいこと」があったりすることを、知識としてすら知らなかったので、勿論探してみるなど、思いもよりませんでした。
で、帰国間近…
ふっと浮かんだ「いいことも悪いことも必ず終わる…」ですが、帰国できるのでほっとした、というような単純な事ではなくて、それはそれは複雑な深い陰影を伴った感慨でした。たぶんその違和感を伴った感慨を、奥深くたどってゆけば、人生や物事には「いいこと」と「悪いことの仮面を被ったいいこと」の二種類しか存在していないことに気づけたかもしれません。。。
いや〜、やっぱり無理だったかな…14年も前の話でした。。。
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