美しい人生を生きたい
なんだか、ゆるゆるずるずると内面の変化が起こっていたようで、あまり変わったという気もしていなかったんですが、随分感じ方が変わったのに気づきました。
すべて望ましい事しか起こっていないような気がします。
それは、地上的な望ましいことじゃなくて、地上的には望ましくないことも含めたすべて、です。。。
全く根拠は無いんですが、高次のメッセンジャー達が口を揃えて言うように、すべて自分の人生に起こることは、自分で決めて来たことだというのが、自分の中で事実扱いになっていました。
ラムサが、全員が幸福なのだ…と、どこかで言っていますが、自分の決めて来たことが起こっている時、それは幸せなことに違いありません。地上的な幸せとは全然相容れない事もあるけれど。。。
経験しようと思っている痛みを経験している時、それはそれはひどい経験でも、それを経験しなかった方がよかったとは思わないんじゃないか?という気がします。
実際、きつい痛みの経験には、喜びや満足にはありえないほどの深みがあり、それを正面から受け止めた時に起こる奇跡のような回復や恩寵の体験も付いて来ます。大きな感動と同じような、圧倒的な豊かさがあります。
委ねようと思わなくても、注射とケーキの双方が同じように望ましいと思える時、肉体・エゴレベルには痛みを避けようという自動的な反射が起こるでしょうが、本体はどちらもしっかり受け入れるでしょう。
そのまんまで、オッケー。
どちらがきても、オッケー。
どちらも人生の恵みだから。。。
学生の頃、精神衛生の授業で、自分の人生の目的は何か?という宿題が出たことがありました。
深い考えもなくて、なんとなくだったと思いますが、具体的なことは書かずに、ただ「美しい人生を生きたい」と書きました。別の大学の、しかも男子学生(サークルで一緒に委員会とかやってた友人です)が、なぜかそれを見て、いいなあ!目的があって〜!と感動してましたが、こんなに茫漠としたもの、目的って言えるのでしょうか?
たぶんその時、書いた本人もよくわかっていなかったに違いないんですが、最近その美しい人生とやらを生きているような気になることが多いです。
喜びも痛みも涙も憂鬱も、至福も感動も、そういった様々な感情や出来事を、様々な色や形のクリスタルのように拾い集めて、それも、ひとつひとつ丁寧拾い集めて、それらすべてを純粋に愛したら…不満や欠如も含めて、満足のような気がします。
すべてのピースを持っている、そんな感じ…そして、すべてのピースが美しい、そんな感じです。
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