父と母の間にいる子供
去年の秋から始まったことが、終了しつつあるようです。。。
ブレークスルーと言えば言えますが、いつものスコーンと抜けた感じがありません。まだ最後のどんでん返しとかがあるのかも…。
今朝の瞑想では、セントラルサンとしての父は、いつもの豪快を通りこしてお祭り騒ぎ状態(ものすごい情報量が炸裂しているような感じ?)で、近づき過ぎるとこっちが解体しちゃいそうなパワーなので、端近に控えて(避難して?)おりました。
こうやって瞑想に入れば即、父と一緒になれます。すべて初めからノープロブレムであり、なにも欠如はなく、すべてよしですが、その余韻はもちろんあっても、こちら側に帰ってくれば、もう分離の幻想が待ち構えています。
分離の幻想が無ければ、多様な体験もありませんから、バランスの問題なのかもしれない…あるいは、知っているうえで役者としての舞台を演じきるか…。クリシュナは、アルジュナに、たとえ同族同士であっても戦って、戦士としての務めを果たすように促した。。。それがアルジュナの役だったから。
でも、有り難いことに、その役としての意識は薄めることができます。
今朝の瞑想では、その薄まってゆく個別の意識が、ワンネスを獲得してゆくプロセスをクリアーに感じました。分離の幻想が薄まると、当たり前ですが、すべてにくまなく父が偏在しているのを感じます。そして父は愛なので、愛が偏在しています。
ラム・ダスの著書のどこかで(探したけれど、見つからない…)、LSDの実験中、彼が飲み物を飲んで、それが神が神を飲んでいるとして実感された、という記述があって、それと同じような感じです。すべてに一応の輪郭はあるんですが、中身はおんなじ…みたいな…。
私たちが体験している「世界」とは、太極図そのものなんだな…と思いました。
母の中にも父がいて、でも母の種子は父の中に存在します。
ひどい苦痛は、父から離れ過ぎて、それ以上離れたら危険だよ、帰っておいで…という呼び声だったかもしれません。それでも母を捨てる必要は全く無いし、さて、どうやってバランスが取れるんでしょうかね。。。
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