愛するしか道はないみたいです。。。
ええ、愛と言えば、ジーザスです。
去年の秋から、どうも色々とご指導を受けると思っていたら、これがテーマだったからだと、ようやく気づきました。
天の父と融合して一息つくには、父の波動に近づくしかありません。
ジーザスは、これを言っていたんですね〜。
アレクサンドラ・ソルナード著『光の書』(和田豊代美訳 ナチュラルスピリット刊)にも愛について、愛を通して(父と融合している)ジーザスと融合する、天国に昇るといったことが繰り返しでてきます。
勿論その愛は無条件の愛で、単なる好き嫌いの愛情とは別です。欠点だらけな人、苦しみをまき散らしているような人にも、全く区別無く同じように向ける父の愛です。ですから、弱点もあり至らない事も多々ある自分自身も、問題なく愛せます。
丁度二ヶ月くらい前に、純粋な無条件の愛を初めて強烈に経験しました。
それは受け取ったのではなくて、自分自身が無条件の愛を発したのか、クリアーな通り道になった体験です。それはもう想像を絶するとてつもない経験でした。。。あんなに強烈な幸福感で昂揚したことは、多分無かったような…。単なる嬉しさとか興奮じゃありませんでした。あれが天国の至福、天使の幸福なのでしょう。
最初の著書『あなたの「うつ」の本当の理由』(文芸社刊)の最後の方でつぎのように書きました。
自分を本当に大切に愛し慈しんで育てることができるようになった時、自然に周囲の人々、いや人々に限定する必要もありません。周囲の様々な生命にまで、愛を注ぐようになるでしょう。そして、あなたは思うのです。愛することって、愛されるより、ずっと幸せで満たされた感じがする…と。
(p154)
これを書いていた2010年〜2011年頃、愛した方がずっと満たされることに気づいてはいたのですが、それが父と融合しているから、あるいは父の通り道になっているためだとは、想像だにできませんでした。
対象は何でもよいのだと思います。そして勿論自分自身が最初です。自分自身に向けられないものはよそにも向けられませんから…。
そして瞑想で、すべてこちら側のものを置いて里帰りすることも不可欠だと、これまで以上に納得しました。
これまたバンコクで暮らしていた頃ですが、誰か守護の方が「あなたは三度の食事は抜かないのに、なぜ瞑想をスキップしますか?」と言われたことがありました。それは修行の押しつけではなくて、ほんの短時間でも故郷に帰ってする霊の栄養補給が、私たちという存在に不可欠だからでした(今、ようやくわかった^^;)。
これで半年以上のひどい混乱に、たぶんケリがつきました。
でもね〜…古いシステムをごっそり解体してるようで、あんまりハッピーじゃないですよ。
外側の望ましいものすべてが、自分自身を本当には満たさないってことが以前のようにぼんやりとじゃなくて、こんなにシャープにわかっちゃった今、ある種の絶望に近いような気分がしないでもありません。
たぶん幻想は消えたけど、本物が手に入ったわけでもなくて、道はわかってもゴールは見当もつきません。
え〜ん(TT)
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