過渡期の混乱
昨日アップした長いアンドロメダ情報ですが、実は昨日記事を見た時に、あれまあ!と驚きました。丁度、過渡期の混乱、アンドロメダ情報では「混沌」となっていますが、それを認識したばかりだったからです。
一昨日の夜だかに気づいたのは、正反対の新旧のエネルギーが自分の内側にあって、以前だったらあり得ないような具合になっている、ということでした。
しばらく前のブログにも書きましたが、例えれば、新しいスーツケースの購入です。今は古いのがまだ使えるので使っていますが、そのうちにTSEなんかもついているのを買うことになるでしょう。またうん十年と使いたいので、ゼロハリバートンだかリモワだか、本当によいものを欲しいと思っています。古いエネルギーは「いいスーツケースが無い」と言うのですが、それが全く理解できないエネルギーもあって、そっちは「だって、もうあるでしょ、エネルギー的に」と言って譲りません。私自身もそちら寄りで、もう既にあるものが欲しいとか、既に知っていることを知りたいとか、すごく矛盾してるような気がします。
どっちのエネルギーも反対のエネルギーに対して「え?そんなの違う!」と、途方にくれる感じなんですが、勿論一番途方にくれるのは、私です。どうやって調整する??? その時気づいたのは、じきに脱落してゆくエネルギーがまだ力を失いたくなくて最後の頑張りを見せてるってこと。。。
多次元モードも、以前は不可能だと思ってたんですが、信念のベースに食い込みつつあります。
一番最初に多次元モードを経験させてもらったのは、今はもう無くなってしまいましたが、月一で開催されていたアイーシャ・ノースのPONDの瞑想集会です。これは多次元モードがベースで、誰でもどこにいてもどの時点での参加でもOKということで、その前からマイケル・ローズの本などで多次元的なあり方を読んだりしていたので、ほんとにできるかどうかわかりませんでしたが、毎回参加していました。開催地が北欧で、幸か不幸か時差のため、瞑想開始が日本時間の早朝にあたり、丁度の時刻には殆ど参加できず、半日遅れなんてことばかり…でも驚いたことに、毎回のように、瞑想中に見たシンボルや状況が、ネットで報告されるアップデートと重なり、「ああ、ほんとなんだ…」と確信できた頃に、終了になってしまいました。
その後、Mirus Clubで光のワークをすることになり、初回でプロテクションをかけずにえらい目に遭ったのを反省して、皆さんにお願いして前日の夜にプレ瞑想をすることにしました。そして、これを多次元モードにしたところが、これまた驚いたことに、初回から、バラバラの時間帯で行ったプレ瞑想と、当日の瞑想会の状況や諸々のエネルギーのシンクロが複数重なりました。私たちはバリバリのサイキック集団ではありませんので、一層、多次元モードというのが、実は当たり前のように機能している状態なのだという確信を得ました。そしてこれは毎回続いています。
というわけで、日常的には線形の時間内で生きていても、精神的にはかなり多次元寄りになっています。そうすると、目の前に肉眼で見えないものが無い、という古い信念はとても分が悪くなります。おまけにマインドも拡大ぎみなのか、エネルギー的に存在しているものは存在しているし、過去・現在・未来、しかもそれぞれ複数の平行現実が重なり合っているという信念を支持し始めています。でも古い信念もまだ息絶えていないので、一種の混乱状態になるわけですね〜(^^;)
それでも、アンドロメダの人たちが言うように、この混乱には一種の美しさ、というか、恩寵を感じます。きっと、とても素晴らしい事を経験しているのでしょう。
一昨日の夜だかに気づいたのは、正反対の新旧のエネルギーが自分の内側にあって、以前だったらあり得ないような具合になっている、ということでした。
しばらく前のブログにも書きましたが、例えれば、新しいスーツケースの購入です。今は古いのがまだ使えるので使っていますが、そのうちにTSEなんかもついているのを買うことになるでしょう。またうん十年と使いたいので、ゼロハリバートンだかリモワだか、本当によいものを欲しいと思っています。古いエネルギーは「いいスーツケースが無い」と言うのですが、それが全く理解できないエネルギーもあって、そっちは「だって、もうあるでしょ、エネルギー的に」と言って譲りません。私自身もそちら寄りで、もう既にあるものが欲しいとか、既に知っていることを知りたいとか、すごく矛盾してるような気がします。
どっちのエネルギーも反対のエネルギーに対して「え?そんなの違う!」と、途方にくれる感じなんですが、勿論一番途方にくれるのは、私です。どうやって調整する??? その時気づいたのは、じきに脱落してゆくエネルギーがまだ力を失いたくなくて最後の頑張りを見せてるってこと。。。
多次元モードも、以前は不可能だと思ってたんですが、信念のベースに食い込みつつあります。
一番最初に多次元モードを経験させてもらったのは、今はもう無くなってしまいましたが、月一で開催されていたアイーシャ・ノースのPONDの瞑想集会です。これは多次元モードがベースで、誰でもどこにいてもどの時点での参加でもOKということで、その前からマイケル・ローズの本などで多次元的なあり方を読んだりしていたので、ほんとにできるかどうかわかりませんでしたが、毎回参加していました。開催地が北欧で、幸か不幸か時差のため、瞑想開始が日本時間の早朝にあたり、丁度の時刻には殆ど参加できず、半日遅れなんてことばかり…でも驚いたことに、毎回のように、瞑想中に見たシンボルや状況が、ネットで報告されるアップデートと重なり、「ああ、ほんとなんだ…」と確信できた頃に、終了になってしまいました。
その後、Mirus Clubで光のワークをすることになり、初回でプロテクションをかけずにえらい目に遭ったのを反省して、皆さんにお願いして前日の夜にプレ瞑想をすることにしました。そして、これを多次元モードにしたところが、これまた驚いたことに、初回から、バラバラの時間帯で行ったプレ瞑想と、当日の瞑想会の状況や諸々のエネルギーのシンクロが複数重なりました。私たちはバリバリのサイキック集団ではありませんので、一層、多次元モードというのが、実は当たり前のように機能している状態なのだという確信を得ました。そしてこれは毎回続いています。
というわけで、日常的には線形の時間内で生きていても、精神的にはかなり多次元寄りになっています。そうすると、目の前に肉眼で見えないものが無い、という古い信念はとても分が悪くなります。おまけにマインドも拡大ぎみなのか、エネルギー的に存在しているものは存在しているし、過去・現在・未来、しかもそれぞれ複数の平行現実が重なり合っているという信念を支持し始めています。でも古い信念もまだ息絶えていないので、一種の混乱状態になるわけですね〜(^^;)
それでも、アンドロメダの人たちが言うように、この混乱には一種の美しさ、というか、恩寵を感じます。きっと、とても素晴らしい事を経験しているのでしょう。
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