ぼんやりした不安
「ぼんやりした不安」という言葉を遺し、人生半ばであちらに帰ってしまった文士がいました。自殺したくなるような気分とはかけ離れていても、漠然とした不安感は侮れない…と身につまされる最近です。
何も無い日常だとわからなくても、実家のおしまいで怒涛の非日常をやっていると、時々その日常の裂け目から、気づかずに埋蔵していたエネルギーと対面することになります。
最近のもっぱらのワークの対象が、これ。
漠然とした不安感です。
現実的な理由はありますが、それもきっちりクリアーに見てみると、ただのきっかけ。
例えば、実家の荷物を部分的に出した後、寝るまで半日ノイローゼ状態でした。
あんだけやって、あんだけお支払いして(2トントラック3台来ました)、まだまだ山盛りあるよ〜!
これからどんな手順で…どこを自分でどんな風に整理して…そっちはこの業者に…あとはこの業者で…などと考えているうちに、考えるのを止められなくなり、ノイローゼ状態に陥っているのに気づきました(^^;)
実家の片付けには、期限はありません。
無理の無い範囲で、淡々と作業を進めるだけです。
でもプレッシャーがひどくて、マインドはお膳立てを完璧にすることで安心したくて回りっぱなし。。。
瞑想しようとしても雑念の高波にのまれて、なかなか集中できない…
やれやれ、こんなことは滅多にありません。
ようやく静かになってきたと思ったら、頭の中で「くたばれマインド!」という声がして、噴いてしまいました。
だってさ、その声の主がマインド本人なんだよ(ぷふふふふふ)。クリアーな意識としての本質は、全てを微笑みのような慈しみの視線で包み込んでいるだけです。
で、わかったこと。
この人生でも、別の地球での転生でもうんとこさ溜め込んだ不安のエネルギーが、きっかけでもって、まだあるよ〜〜〜ん(^0^)、てな具合で浮上しているだけでした。
ということで、せっせと手放しております。
まあもうメガトン級で溜め込まれていて、いつ終わるかわかりませんが、こちらも実家の片付けと一緒で、淡々と楽しみながら整理してゆくようです。
幸い整理や不用品の処分はかなり好きなので、期限が無いとなると、結構楽しいです。
実家も、一階の目障りで場所ふさぎな大型家具などが無くなった分広々として、業者さんがきれいにお掃除までしてくれて、父の愛した庭も青々ときれいなので、暑さが収まり次第通うのが今から楽しみだったりします。
まだたまに食事の事故で動けなくなる時もありますが、普段はフツーに元気なので、それは本当に有難いし、嬉しい事です。
秋よ来い〜!!
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