愛を体験する
これ、既に書いたと思っていて、まだ書いていませんでしたね。
インフルエンザの治りかけで取り込んでいた時だったので、そのままになっていました。
寝る前のちょこっと瞑想で、1月11日に日付が変わり、ハッとして瞑想から出て時計を見たら1:11で、おお〜!と一人で受けてました(^^)
私たちは愛の欠如から、自分も人も、世界も散々な目に遭わせて苦しみますが、それって、愛に満ちた世界では絶対に体験できません。
もう15年も前に、フラワーオブライフの認定ファシリテーターのセミナーで、一生忘れられないような体験をしました。
4人一組になり、3人が手を伸ばして作る三角形の中に一人が入り、中の人はエネルギーを受け取る、外の3人は中心の人に愛を送るというワークです。
エネルギーを送る時は、送ることに集中していて、違いという程のものには気づきませんでしたが、送られる人になった時、あまりの違いにショックを受けました。
この空気、この感じはよく知っている!!!
かつて長く生きていた世界では、この小さな三角のスペース同様、愛がそこら中に溢れていました。空気中の酸素かそれ以上…
涙が止まらなくなりました。
感動したよりも、悲しくて、です。
かつてはそのように愛に包まれ、愛を生きていたのに、その愛から見捨てられたようなありさまで生きざるを得ない。超必需品なのに入手困難で、いつも飢えている、そんな感じでしたから。
でも、今まだこの世界に愛が溢れているとは言い難いものの、自分のハートの光に接続すれば十分で、酸欠ならぬ愛欠は最早全く感じません。
もっとも、この世界にも愛はたっぷり存在していて、というのも、愛が無いわけではなく、私たちが蓋をして抑圧しているだけだからです。
昔、オーラの色を勉強していて、アボガドグリーンが愛の抑圧の色だとあるのがよく理解できませんでしたが、そうです!愛は抑圧されているだけなのです。
さて、1月11日の未明に気づいたこと、それはこの愛欠?を体験しなければ、愛を対象化することができない、だから私はここに来た!ということでした。
愛に包まれ、愛として生きている時、愛を対象化することも理解することも、意識として経験することもできません。
そうだったんです!
これでした!
オーマイガッ!
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