投影としての他者
飼い鳥を息子と呼んだり、家族などと言うと、動物と親密な関係を体験したことがない方には???かもしれません。
でも、人一人と鳥一羽だけで長く生活していると、家族と言う他ないような関係になります。
ここ数年、煉獄期間中、ひどい神経系の不調なども度々あり、体が重くて重くて最低限の仕事と家事をするのが精一杯だったりする事も多く、そんな時、ご飯やお水の交換、お掃除などのお世話はなんとかしても、元気な時のように、ちやほやして遊んであげる余裕がありませんでした。
そうすると…
聞き分けのない永遠の3歳児は、時にブチ切れ状態になり、鳥VS人間の大げんか、などということも何回かありました。
ただ構ってもらえなくて欲求不満なだけでなく、とても敏感なヤツは、私の重くて辛いエネルギーもストレスだったに違いありません。
子供を持つ、病気で苦しむお母さんの気持ちが痛いほどわかりましたよ〜(TT)
しばらくそんな事も途絶えていましたが、ここ最近の集中浄化で似たような状態になり、一度ひどく険悪になった時、とても素晴らしい経験、というか気づきが来ました。
かつて、私の具合がひどく悪くても、周囲の人は助けてくれるどころか、一層こちらのエネルギーや時間を搾取するというパターンを持っていて、それはもう散々時間をかけて自分を変え、今はもうそのような事は現実に投影されなくなりました。
きっちりと境界線を引く訓練は時に過酷で、延々続きましたが、やがて難なくできるようになって今に至っています。
それでも、その辛い経験を通しての苦痛の感情自体は浄化が完了していなくて、その投影がヤツ!
彼自身はもちろん生命を宿した実体ですが、私が「コノヤロー」と自分の奥底に溜まっている怒りや苦痛を投影している彼は、そのお役を務めている役者、つまり映像と言うか幻想です。
散々聞いて来た話ですが、この瞬間、本当に腹の底から実感して、心底清々しました。一種の解放だったと言えるでしょう。
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