理解のその先
前のブログに、ひどい苦しみの経験がトラウマを形成して、そこから、同じように苦しむことに対する恐れが生まれると書きました。
でもね、そのトラウマを経験したのは過去のことで、本質的に、今にも未来にも関係ないことです。
そんなにひどく苦しんでも「ただでは起きない」オセロゲーム・プレイヤーですから、同じことが起こったとしても、もっと上手に乗り越えられる筈で、しかも恐怖や不安が幻想だということも知っています。
理解はできてる…
だから、不安になっても、不安に付いて行かない…
でも、ちょっとしたきっかけがあると、すかさず肩が凝る…
わかっていても、苦しみに対する自己防衛機構が自動的に起動するので、不要なアドレナリンがわんさか供給されて、自分を守ろうと体に力が入り、ぎゅうっと肩が凝ってきます。ひどい時は、耳の付け根が痛むほど。。。
潜在意識の妄想による過剰反応ね。
これ、頭だけの理解だけではどうしようもないです。
その理解を一瞬一秒生きられるようにならないと、こういう自動的な反応は収まらない。。。
マイケルがよく言う、「真理は生きなければ、真理じゃない」ですね。
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