愛がすべて、そして帝国、じゃなくて、エゴの逆襲
白井さんの本などがきっかけだったかもしれませんが、自分が自然に愛そのもので、それ以外のあり方が可能だなどということを思いもよらなかった、恐らくは転生前の感覚が戻ってきています。
色々な文献の通りで、その状態は常に私たちのうちに存在していて、ただそれが感じられないだけだというのも、体感として納得できます。
じゃあ、どうしてその本来の在り方=愛を感じられない?
エゴがブロックするから。。。
最近、何となく思うんですが、エゴって過去の記憶に過ぎないんじゃないか…。
ひどく辛い事を経験して、それが苦痛や諸々の辛い感情や恐れと共に記憶を形成します。
あまりに辛かったり、長年にわたって繰り返されると、それは強固な信念になってしまい、自分はそういう経験をするものだと、思い込んでしまう。
それが無意識に潜った場合は、一層毒とパワーを持って、人生に、装いに違いはあっても、本質的には同じ経験を作り出します。
でもね、それって、元はただの記憶じゃないの…
なんて思って、原初の愛、完全に脱力するほど安らかでリラックスしているのに、軸はしっかり立っていて揺らがない、そんな状態が本当の自分だった事を思い出すと…
消される!とパニックになったエゴの逆襲が始まったりします。
消されるなんて誤解で、その無限の愛が優しく包みこむ中で、永遠に溶けてゆくだけなのに、それがわからないのでしょう。
ともあれ、必死にエゴが抵抗してくる、その過程で、エゴは心底苦しみたいというか、苦しむことがその本質なのだということにも気づきました。
普段はまず興味の網に引っかかりが無いような、苦痛に満ちた映画なんかにものすごく惹かれる。
この惹かれ方が妙で、自然じゃないから、エゴが動いているのがわかります。
何か不自然なドライブがかかる感じって、わかりません?
この不自然な力みというかドライブがある時、それは私の場合、必ずお腹の左側から来ているようなんですが、エゴが動いています。
その辺りが、私のエゴの座なのかもしれません。
あ、もちろん、エゴの言いなりになって、見に行ったりは致しません。大勢の人と一緒に、長時間、映画と一緒になってそんなにひどい苦痛に塗れたら、救護室で寝せてもらえないと帰宅できないかもしれないし、復旧に何日もかかりますから〜。
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