〈お知らせ〉第二回瞑想ワークショップ Mirus Clubの集い♩
あと一週間ですね〜。
どんな会になるか、これまたわくわくドキドキです。
週末の午前中ですが、どうぞ皆様ふるってご参加ください。
詳細です…
10月19日(日)10時〜11時半
場所 小田急線新百合ケ丘駅より徒歩5、6分の万福寺町内会館3階小会議室
住所 川崎市麻生区万福寺4−18−26
地図は、万福寺町内会サイト(http://members3.jcom.home.ne.jp/manpukuji-chonaikai/map[1].jpg)でご覧下さい。
お車の場合は徒歩1、2分の小田急OX(アートセンター向かい)か、新百合山手中央通り沿いの三井のリパークをご利用ください。
椅子に座って行いますが、体を締めつけないリラックスした服装でどうぞ。
参加費はお一人千円になります。お釣りのないようにご用意いただけましたら、有り難く存じます。
尚、年齢制限はありませんが、90分間静かに座っていられる方のみに、ご参加を限らせていただきます。
お申し込みは、前日までにメールで
1.お名前
2.やむを得ない場合の予定変更など緊急時のご連絡先(携帯をお持ちでしたら、その番号)
をお知らせください。
ご予約は、お手数ですが、Mirus Clubホームページのお問い合わせ(http://members2.jcom.home.ne.jp/mirus/inquiry.html)のページに行っていただき、そちらのメールアドレス宛にお願いします。参加申し込みではなく、お問い合わせにつきましても、同じアドレス宛にお願いします。二日経っても返信が無い場合は、こちらにメールが届いておりませんので、ご確認の上、もう一度ご送信ください。
ちょっとした説明の後、すぐに誘導瞑想など始めますので、遅刻なさらないようにお願い致します。尚、会場はそれぞれ30分前より準備して開けておりますので、十分な余裕を持ってお越し下さい。水分の持ち込みは自由ですが、周囲に匂いが広がるコーヒーなど香りの強いものはご遠慮ください。
実際に瞑想するのは、冒頭と締めの15分程度を考えています。当日の参加者次第で色々になると思いますが、途中休憩しながら、エネルギー・ワークを試してみたり、自由に質問していただいたり、ガイドからのメッセージをお伝えするような時間も取ります。
どんな会になるか、これまたわくわくドキドキです。
週末の午前中ですが、どうぞ皆様ふるってご参加ください。
詳細です…
10月19日(日)10時〜11時半
場所 小田急線新百合ケ丘駅より徒歩5、6分の万福寺町内会館3階小会議室
住所 川崎市麻生区万福寺4−18−26
地図は、万福寺町内会サイト(http://members3.jcom.home.ne.jp/manpukuji-chonaikai/map[1].jpg)でご覧下さい。
お車の場合は徒歩1、2分の小田急OX(アートセンター向かい)か、新百合山手中央通り沿いの三井のリパークをご利用ください。
椅子に座って行いますが、体を締めつけないリラックスした服装でどうぞ。
参加費はお一人千円になります。お釣りのないようにご用意いただけましたら、有り難く存じます。
尚、年齢制限はありませんが、90分間静かに座っていられる方のみに、ご参加を限らせていただきます。
お申し込みは、前日までにメールで
1.お名前
2.やむを得ない場合の予定変更など緊急時のご連絡先(携帯をお持ちでしたら、その番号)
をお知らせください。
ご予約は、お手数ですが、Mirus Clubホームページのお問い合わせ(http://members2.jcom.home.ne.jp/mirus/inquiry.html)のページに行っていただき、そちらのメールアドレス宛にお願いします。参加申し込みではなく、お問い合わせにつきましても、同じアドレス宛にお願いします。二日経っても返信が無い場合は、こちらにメールが届いておりませんので、ご確認の上、もう一度ご送信ください。
ちょっとした説明の後、すぐに誘導瞑想など始めますので、遅刻なさらないようにお願い致します。尚、会場はそれぞれ30分前より準備して開けておりますので、十分な余裕を持ってお越し下さい。水分の持ち込みは自由ですが、周囲に匂いが広がるコーヒーなど香りの強いものはご遠慮ください。
実際に瞑想するのは、冒頭と締めの15分程度を考えています。当日の参加者次第で色々になると思いますが、途中休憩しながら、エネルギー・ワークを試してみたり、自由に質問していただいたり、ガイドからのメッセージをお伝えするような時間も取ります。
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不動心は軽やかな自由とお友達だそうで…
これは、今朝起床直後、脚にココナツオイルを擦り込んでいた時に!?、ハイヤーセルフから教えてもらったことです。
最近きょ〜〜〜れつ!なエネルギーが降りて来て、どうやらそのガイドは、へなちょこtomokoに足りない不動のグラウンディングを助けるために来てくれたようなんです。不動心とか言うと、なんだか固くてすご〜くがっちりした感じがしてしまいますが、ハイヤーセルフは、そんな表面的な解釈でを粉砕してくれました。
何にもしがみつかずに執着からとことん自由な時に、本当の不動心を保てる、と言うのです。
そうですよね、何かにしがみつく、つまり自分は安全じゃないから守ろうとして固くなったりしたら、それは自己防衛です。本質的な強さは、自分が安全であり、充分な力があることを知っていることからしか生まれません。何でも依存したりしがみついたりすることは、私たちをもろくしてしまいます。あ、サルーサのメッセージにありましたが、必要があってドアを開けたら忘れずに戸締まりしとく、といったような事はまた別です。様々なエネルギーが坩堝のような具合に混在しているこの世界で、何にでも自分を開いてしまい、そのままというのは、ちとナイーブすぎます。それは防衛というようなことではなく、フォーカスのような選択の問題でしょう。
自由で軽くいて、それでいて不動のグラウンディングで揺らがないって、言葉の上ではほんと〜にわかりにくいですが、これが今朝のレッスンでした。マインドは納得してよくわかったようですが、これを消化するのにはまだあれこれ経験する必要がありそうです。明るく軽やかにリラックスして〜というのは、既に結構やってきたんですが、ここにしなやかでぶれない不動のグラウンディングをつけ加えることになるわけで、どんなになるかは??? やってみないとわかりません(^^;)
最近きょ〜〜〜れつ!なエネルギーが降りて来て、どうやらそのガイドは、へなちょこtomokoに足りない不動のグラウンディングを助けるために来てくれたようなんです。不動心とか言うと、なんだか固くてすご〜くがっちりした感じがしてしまいますが、ハイヤーセルフは、そんな表面的な解釈でを粉砕してくれました。
何にもしがみつかずに執着からとことん自由な時に、本当の不動心を保てる、と言うのです。
そうですよね、何かにしがみつく、つまり自分は安全じゃないから守ろうとして固くなったりしたら、それは自己防衛です。本質的な強さは、自分が安全であり、充分な力があることを知っていることからしか生まれません。何でも依存したりしがみついたりすることは、私たちをもろくしてしまいます。あ、サルーサのメッセージにありましたが、必要があってドアを開けたら忘れずに戸締まりしとく、といったような事はまた別です。様々なエネルギーが坩堝のような具合に混在しているこの世界で、何にでも自分を開いてしまい、そのままというのは、ちとナイーブすぎます。それは防衛というようなことではなく、フォーカスのような選択の問題でしょう。
自由で軽くいて、それでいて不動のグラウンディングで揺らがないって、言葉の上ではほんと〜にわかりにくいですが、これが今朝のレッスンでした。マインドは納得してよくわかったようですが、これを消化するのにはまだあれこれ経験する必要がありそうです。明るく軽やかにリラックスして〜というのは、既に結構やってきたんですが、ここにしなやかでぶれない不動のグラウンディングをつけ加えることになるわけで、どんなになるかは??? やってみないとわかりません(^^;)
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正反対でも同じエネルギー
最近瞑想の時間をたっぷり取れるようになったせいか、気づきの質も上がってきたような気がします。今朝は瞑想していて、そんなに長くしたつもりはなかったのに、時計を見たら1時間以上経過していました。もっとも、もう時計の針が示す時間もあてにならなくなってますが…。
先日気づいて、これは面白いなあ、と思ったのは、コントロールには相手が不可欠だ、ということです。
つまり自分の思うような具合に相手を動かしたいので、これ、その相手がいなかったら不可能です。実際コントロールしたい人たちというのは、自分自身の中のやりきれない苦痛、特に自分の思い通りにならないとひどい目に遭うに違いないという無意識の恐れや不安に苛まれているために、コントロールしたいというドライブが強烈になっちゃうんです。
本当は自分の中の恐怖が出口を求めているだけで相手は不要なのですが、相手がいないとコントロール自体ができず、その恐怖をなだめられないので、相手が必要になってきます。つまりコントロールする人はコントロールされる人に依存している!ってわけです。自分の中のことと見抜いて、インナーチャイルド・ヒーリングでもなんでもして癒せれば、自己完結で他にとばっちりもなく、自分自身もトラブルを作らずにいられる分安全なのですけれどね。。。
強圧的にコントロールする人たちはパワーが強いように見えて、実はコントロールされる存在にしがみつかなければならないほど弱いんです。
コントロールだけを見ているとわかりにくいですが、コントロールというエネルギーは依存とセットになってるエネルギーで、支配も依存も実は同じエネルギーの両極端、ということが言えそうです。こういうことって、全然興味の無い人には、それがなんでおもしろいわけ?と言われてしまいそうですが、tomokoにとってはすんごく面白いんですよね〜。。。
先日気づいて、これは面白いなあ、と思ったのは、コントロールには相手が不可欠だ、ということです。
つまり自分の思うような具合に相手を動かしたいので、これ、その相手がいなかったら不可能です。実際コントロールしたい人たちというのは、自分自身の中のやりきれない苦痛、特に自分の思い通りにならないとひどい目に遭うに違いないという無意識の恐れや不安に苛まれているために、コントロールしたいというドライブが強烈になっちゃうんです。
本当は自分の中の恐怖が出口を求めているだけで相手は不要なのですが、相手がいないとコントロール自体ができず、その恐怖をなだめられないので、相手が必要になってきます。つまりコントロールする人はコントロールされる人に依存している!ってわけです。自分の中のことと見抜いて、インナーチャイルド・ヒーリングでもなんでもして癒せれば、自己完結で他にとばっちりもなく、自分自身もトラブルを作らずにいられる分安全なのですけれどね。。。
強圧的にコントロールする人たちはパワーが強いように見えて、実はコントロールされる存在にしがみつかなければならないほど弱いんです。
コントロールだけを見ているとわかりにくいですが、コントロールというエネルギーは依存とセットになってるエネルギーで、支配も依存も実は同じエネルギーの両極端、ということが言えそうです。こういうことって、全然興味の無い人には、それがなんでおもしろいわけ?と言われてしまいそうですが、tomokoにとってはすんごく面白いんですよね〜。。。
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