続々 探しものはなんでも、必ず見つかる…内側のここに
大学院時代、お世話になっていた人に、将来どんな風になりたいかと聞かれて、正直に、ゆったり家のことなどをして毎日を楽しく過ごしたいと言ったら、こんなに学費もかけてもらって能力もあるのにとんでもないと叱られました。確かに大学と大学院に13年もいさせてもらいましたから、叱られなくても、人一倍仕事をして…といつの間にか思い込んでいました。
で、今…何のことはない、その正直な希望が叶っています。
これを書いているだけで、に〜んまりしてしまいます。。。tomokoは本当にtomokoらしい環境にゆっくりくつろいで、部屋など整えながら、読んだり書いたりして、オカメインコと植物を愛でて…たまには面白い体験をしてリフレッシュするための旅行に出ることもあるでしょうが、そんな暮らしが本当に性にあっているようです。
自分にぴったりの場所で性にあった暮らしをして満足していることは、とても大事ではないでしょうか? そうすることで、容易にリラックスして本来の自分自身でいられます。本来の自分自身でいて、ゆったりと本来の呼吸ができれば、内側の「それ」につながるのも簡単です。「それ」につながって、ユーフィーリングをたっぷりと吸い込めば、何でも望みは叶うような気分になります。で、きっとその通りになります。もっとも、こんなに満足した「「いまここ」にいると、望むことも無かったりしますが。。。
で、今…何のことはない、その正直な希望が叶っています。
これを書いているだけで、に〜んまりしてしまいます。。。tomokoは本当にtomokoらしい環境にゆっくりくつろいで、部屋など整えながら、読んだり書いたりして、オカメインコと植物を愛でて…たまには面白い体験をしてリフレッシュするための旅行に出ることもあるでしょうが、そんな暮らしが本当に性にあっているようです。
自分にぴったりの場所で性にあった暮らしをして満足していることは、とても大事ではないでしょうか? そうすることで、容易にリラックスして本来の自分自身でいられます。本来の自分自身でいて、ゆったりと本来の呼吸ができれば、内側の「それ」につながるのも簡単です。「それ」につながって、ユーフィーリングをたっぷりと吸い込めば、何でも望みは叶うような気分になります。で、きっとその通りになります。もっとも、こんなに満足した「「いまここ」にいると、望むことも無かったりしますが。。。
- 何でもなくて天国な日常
- / trackback:0
- / comment:0
- [ edit ]
続 探しものはなんでも、必ず見つかる…内側のここに
一昨日、昨日と殆ど同じような事をしていたのに、一日の気分としてはとても対照的な面白い経験をしました。
唯一違ったのは、一昨日はプチ・イングリッシュガーデンと名付けた、ベランダに拵えた庭もどきと外の新緑を眺めながら30分ほどゆっくりお茶を飲んだり、「それ」を感じながら、のんびりしたことだけ。
一昨日はこれをした後寝るまで、緩やかな自然な流れに包まれるような気分のよさが続きました。翌日は、あれこれしているうちに、お茶は飲んでもPCしながら、とかで終わってしまい、自分自身の内側にある永遠に輝き続けて滋養をあふれさせる喜びにきちんとアクセスできませんでした。やっぱりちょこっと瞑想や、情報を取るためのリーディング瞑想だけでは、全然足りないようです。
でも!こんなことで、一日分の喜びや幸せ、元気が補給できるって、超有り難いと思いません?他にほんとに何も要らないんです。ただ本来の何も屈託のない自分自身でリラックスするだけです。窓から見える美しい景色でも、美味しいお茶でも、静かに毛繕いしている大事なペットでも何でも、大好きなもの、落ち着かせてくれるものは、自分自身の本来の波長と同調するのを助けてくれます。夜ならたった一本のろうそくの炎でも充分だし、何もなければ、ただ目をつぶってそうしたものを思い出すだけでも効果があるでしょう。
これと反対のことをどれだけやってきたでしょう!?
何をしても本当の満足からは見離されていて、辛いことを山盛り経験して、ひどく傷つきました。人も傷つけたし、大変な努力を死ぬほどしても、こんな安心や満たされた感じ、幸せに到達することはありませんでした。世間の常識通りに、人からの評価や経済力や愛してくれる人などを得ようと、どれだけ努力したでしょう。でも外側にあるいわゆる「良いもの」と内側にある永遠に「良いもの」をそれぞれ体験すれば、それぞれがあまりに違うことに驚くようです。外側にあるものだと、大変な努力をしてようやく手に入るものもありますが、内側にあるものはもとから内側にあるし、あり続けるものだから、努力する必要はありません。ただゆっくり呼吸をして、そこに戻るだけ。
あまりに喜びが大きくなると、本当ならそれに降参してしまえばすごい飛躍があるのでしょうが、容量オーバーではちきれてしまいそうで抵抗している自分を感じたりします。
でも、その喜びの理由は…何もありません。
ただ、曇り空からぽつぽつ落ちてくる雨を受けている赤い葉をつけた木を見ているだけで、その葉っぱの様子が嬉しいというよりも、昨日のアシュタールのメッセージのように、感覚に集中することで内側の源につながってしまい、受け取れる量をはるかに超えた莫大な喜びのエネルギーが流れて来ようです。これを、抵抗無しに、そのままぜえ〜〜んぶ受け取れたりしたら、すごいことが経験できるのかもしれませんが。。。
唯一違ったのは、一昨日はプチ・イングリッシュガーデンと名付けた、ベランダに拵えた庭もどきと外の新緑を眺めながら30分ほどゆっくりお茶を飲んだり、「それ」を感じながら、のんびりしたことだけ。
一昨日はこれをした後寝るまで、緩やかな自然な流れに包まれるような気分のよさが続きました。翌日は、あれこれしているうちに、お茶は飲んでもPCしながら、とかで終わってしまい、自分自身の内側にある永遠に輝き続けて滋養をあふれさせる喜びにきちんとアクセスできませんでした。やっぱりちょこっと瞑想や、情報を取るためのリーディング瞑想だけでは、全然足りないようです。
でも!こんなことで、一日分の喜びや幸せ、元気が補給できるって、超有り難いと思いません?他にほんとに何も要らないんです。ただ本来の何も屈託のない自分自身でリラックスするだけです。窓から見える美しい景色でも、美味しいお茶でも、静かに毛繕いしている大事なペットでも何でも、大好きなもの、落ち着かせてくれるものは、自分自身の本来の波長と同調するのを助けてくれます。夜ならたった一本のろうそくの炎でも充分だし、何もなければ、ただ目をつぶってそうしたものを思い出すだけでも効果があるでしょう。
これと反対のことをどれだけやってきたでしょう!?
何をしても本当の満足からは見離されていて、辛いことを山盛り経験して、ひどく傷つきました。人も傷つけたし、大変な努力を死ぬほどしても、こんな安心や満たされた感じ、幸せに到達することはありませんでした。世間の常識通りに、人からの評価や経済力や愛してくれる人などを得ようと、どれだけ努力したでしょう。でも外側にあるいわゆる「良いもの」と内側にある永遠に「良いもの」をそれぞれ体験すれば、それぞれがあまりに違うことに驚くようです。外側にあるものだと、大変な努力をしてようやく手に入るものもありますが、内側にあるものはもとから内側にあるし、あり続けるものだから、努力する必要はありません。ただゆっくり呼吸をして、そこに戻るだけ。
あまりに喜びが大きくなると、本当ならそれに降参してしまえばすごい飛躍があるのでしょうが、容量オーバーではちきれてしまいそうで抵抗している自分を感じたりします。
でも、その喜びの理由は…何もありません。
ただ、曇り空からぽつぽつ落ちてくる雨を受けている赤い葉をつけた木を見ているだけで、その葉っぱの様子が嬉しいというよりも、昨日のアシュタールのメッセージのように、感覚に集中することで内側の源につながってしまい、受け取れる量をはるかに超えた莫大な喜びのエネルギーが流れて来ようです。これを、抵抗無しに、そのままぜえ〜〜んぶ受け取れたりしたら、すごいことが経験できるのかもしれませんが。。。
- 何でもなくて天国な日常
- / trackback:0
- / comment:0
- [ edit ]
探しものはなんでも、必ず見つかる…内側のここに
井上陽水の「夢の中へ」(作詞作曲井上陽水)という歌があります。
探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中もつくえの中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
(中略)
休む事は許されず
笑う事は止められて
はいつくばってはいつくばって
いったい何を探しているのか
探すのをやめた時
見つかる事もよくある話で
踊りましょう 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
(後略)
(これ、コピペじゃありません。手動!です(笑)。
いくつかのサイトを同じように試しましたが、恐らく強力な著作権保護の関係でしょう、コピペができないようになっています。でも、作者の名前をきちんと出して、略した部分も指示してありますから、引用の手続きとしては問題なしでしょう。厳密な文献引用となれば、どこのサイトからとアドレス表示まですることになりますが、そこまでする必要を感じません。)
陽水は「夢の中へ」と歌っていますが、1973年作詞ですからね…大昔です。実際ほんのちょっと前まで、探しもの、あるいは本当のでなくてもそれに近いものを見つけるためには、「夢の中」へ行くしかなかったのかもしれません。
でも今はもう違います。
いつだって簡単に見つかるし、「それ」が失われたりしないこともわかっているから、心配になったり焦燥したりしなくてもいいです。こっちの意識が曇って「それ」を見る目が失われることがあるだけです。寧ろ「それ」を感じて、「それ」とともにいることが本当の現実に生きていることで、意識が曇った気絶中の方がはかない夢になっています。完全な逆転…これを体験したくて、苦労してこの世界に来た人たちも多いんだと思います。こんなすごいことを本当に体験できるなんて…まだまだすごい事がこれからも続くようですが。ここまで来れただけでも、かなり満足な気がします。
陽水の「夢の中へ」を聴いてみたい方のために、YouTubeのリンクを張っておきます。
陽水の歌も素敵ですが、ライブ会場の様子がこれまたすごい…70年代?80年代?ファッション(^^;)…楽しめるかも。
厚生年金会館ライブ(1980年 東京)
探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中もつくえの中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
(中略)
休む事は許されず
笑う事は止められて
はいつくばってはいつくばって
いったい何を探しているのか
探すのをやめた時
見つかる事もよくある話で
踊りましょう 夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
(後略)
(これ、コピペじゃありません。手動!です(笑)。
いくつかのサイトを同じように試しましたが、恐らく強力な著作権保護の関係でしょう、コピペができないようになっています。でも、作者の名前をきちんと出して、略した部分も指示してありますから、引用の手続きとしては問題なしでしょう。厳密な文献引用となれば、どこのサイトからとアドレス表示まですることになりますが、そこまでする必要を感じません。)
陽水は「夢の中へ」と歌っていますが、1973年作詞ですからね…大昔です。実際ほんのちょっと前まで、探しもの、あるいは本当のでなくてもそれに近いものを見つけるためには、「夢の中」へ行くしかなかったのかもしれません。
でも今はもう違います。
いつだって簡単に見つかるし、「それ」が失われたりしないこともわかっているから、心配になったり焦燥したりしなくてもいいです。こっちの意識が曇って「それ」を見る目が失われることがあるだけです。寧ろ「それ」を感じて、「それ」とともにいることが本当の現実に生きていることで、意識が曇った気絶中の方がはかない夢になっています。完全な逆転…これを体験したくて、苦労してこの世界に来た人たちも多いんだと思います。こんなすごいことを本当に体験できるなんて…まだまだすごい事がこれからも続くようですが。ここまで来れただけでも、かなり満足な気がします。
陽水の「夢の中へ」を聴いてみたい方のために、YouTubeのリンクを張っておきます。
陽水の歌も素敵ですが、ライブ会場の様子がこれまたすごい…70年代?80年代?ファッション(^^;)…楽しめるかも。
厚生年金会館ライブ(1980年 東京)
- 何でもなくて天国な日常
- / trackback:0
- / comment:0
- [ edit ]